無罪判決の紹介

【裁判例】通行中の女性に対して暴行,脅迫を加えてビルの階段踊り場まで連行し,強いて姦淫したとされる強姦被告事件について,被害者とされた者の供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の認定が是認できないとされた事例 最高裁判所平成23年7月25日
1 事案の概要 (1) 被告人は,平成18年12月27日午後7時10分頃,京成電鉄の千葉中央駅前の歩道付近で,たまたま通り掛かったAに声を掛け,会話を交わし,その直後に,被告人とAは,同所から約80m離れた本件ビルに歩いて移動し,階段を上り,本件現場に至った。被告人とAとは初対面であった。 (2) 本件は,同日午後7時25分頃,本件ビルの北側外階段屋上踊り場において発生した出来事であり,その際,被告人は射精し,その精液がAの着用していたコートの右袖外側の袖口部分の表面及び裏面に付着した。被告人は,射精後,本件現場を離れ,1人で本件ビルから立ち去った。 (3) 本件ビルの警備員は,同日午後7時20分頃,制服を着用して本件ビルを警備のため巡回した際,本件現場にいた被告人とAのすぐ近くを通り掛かったが,そのまま通り過ぎた。 (4) Aの勤務先飲食店の経営者及び従業員は,Aを伴い,同日午後8時30分頃,本件ビル地下1階の警備室を訪ね,警備員らにAが本件現場で強姦被害に遭った旨を訴えたが,警備員らと口論となり,警備員らの通報を受けて警察官が臨場した。 その際,Aは,警察官に対し,強姦被害に遭ったことと,その際に警備員が本件現場を通り掛かったことを申告した上,その場にいる複数の警備員の中から通り掛かった警備員を特定した。 (5) 被告人は,平成20年6月に東京都足立区内で,報酬の支払を条件にマンションの階段踊り場で女性に対し,自ら手淫行為をする様子を見るように依頼し,その同意を得て同女の手のひらに射精したのに,報酬を支払わずに逃走したため,同女が警察に被害申告する事態となり,付近で発見され,事情聴取を受けた。 この件は事件にならないものとして処理されたが,その際遺留された被告人の精液のDNA型鑑定から,Aのコート袖口部分に付着した精液との同一性が判明し,被告人は,本件について検挙されるに至った。 2 本件について,被告人は,本件当日,報酬の支払を条件にAの同意を得て,本件現場にAと一緒に行き,手淫をしてもらって射精をしたが,現金を渡さないまま逃走したと弁解し,暴行,脅迫及び姦淫行為の事実を否認しました。 第1審判決は,本件被害を受けたとするAの供述の信用性を認めて被告人を懲役4年に処しました。 被告人からの事実誤認を理由とする控訴に対し,控訴審は,改めてAの証人尋問を実施した上で,Aの第1審及び原審での供述の信用性は十分認めることができるとして,第1審判決の事実認定を是認し,控訴を棄却しました。 3 被告人の性癖などを見ると,どうしても偏見を持ってしまいがちですが,最高裁は次のように述べて被告人を無罪としました。 ・本件のうち,暴行,脅迫及び姦淫行為の点を基礎付ける客観的な証拠は存しない。そうすると,上記事実を基礎付ける証拠としては,Aの供述があるのみであるから,その信用性判断は特に慎重に行う必要がある。 ・Aは,午後7時10分頃,人通りもある駅前付近の歩道上で,被告人から付近にカラオケの店が所在するかを聞かれ,それに答えるなどの会話をしている途中で突然「ついてこないと殺すぞ。」と言われ,服の袖をつかまれ,被告人が手を放した後も,本件ビルの階段入口まで被告人の後ろをついて行ったと供述する。しかし,その時間帯は人通りもあり,そこから近くに交番もあり,駐車場の係員もいて,逃げたり助けを求めることが容易にできる状況であり,そのことはAも分かっていたと認められるにもかかわらず,叫んだり,助けを呼ぶこともなく,また,本件現場に至るまで物理的に拘束されていたわけでもないのに,逃げ出したりもしていない。これらのことからすると,「恐怖で頭が真っ白になり,変に逃げたら殺されると思って逃げることができなかった。」というAの供述があることを考慮しても,Aが逃げ出すこともなく,上記のような脅迫等を受けて言われるがままに被告人の後ろを歩いてついて行ったとするAの供述内容は,不自然であって容易には信じ難い。また,Aは,本件現場で無理矢理姦淫される直前に,被告人やAのいる1m50cm程度のすぐ後ろを制服姿の警備員が通ったが,涙を流している自分と目が合ったので,この状況を理解してくれると思い,それ以上のことはしなかったと供述している。しかし,当時の状況が,Aが声を出して積極的に助けを求めることさえ不可能なものであるかは疑問であり,強姦が正に行われようとしているのであれば,Aのこのような対応は不自然というほかなく,この供述内容も容易に信じ難い。以上によれば,Aは,被告人に対して抵抗することが著しく困難な状況に陥っていたといえるかは疑問であり,Aのいうような脅迫等があったとすることには疑義がある。 ・姦淫の有無については,Aは,20cm余りの身長差のある被告人に右脚を被告人の左手で持ち上げられた不安定な体勢で,立ったまま無理矢理姦淫された旨供述するが,これは,わずかな抵抗をしさえすればこれを拒むことができる態様であるし,このような体勢においては被告人による姦淫が不可能ではないにしても容易でなく,姦淫が行われたこと自体疑わしいところである。加えて,そのように供述するにもかかわらず,本件当日深夜に採取されたAの膣液からは,姦淫の客観的証拠になり得る人精液の混在は認められなかったし,膣等に傷ができているなどの無理矢理姦淫されたとするAの供述の裏付けになり得る事実も認められなかった。このほか,Aがコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てたと供述する破れたパンティストッキングは,直後の捜査によっても発見されていない。さらに,Aは,破れたパンティストッキングを捨てた後,当初は,コンビニエンスストアで新たにパンティストッキングのみを購入したとしていたのを,その後,コンビニエンスストアでのレジの記録からこれに符合する購入が認められないとなると,第1審では何かを一緒に購入したかもしれないとして,レジの記録に沿うよう供述を変化させ,原審では飲物を買ったような記憶があるとしており,供述内容に変遷が見られる。このように,姦淫行為に関する一連のAの供述は,不自然さを免れず,姦淫行為があったとすることには疑義がある。 ・被告人は,3万円の現金をチラシにはさんでAに見せながら,報酬の支払を条件にその同意を得て,本件現場にAと一緒に行き,手淫をしてもらって射精をしたなどと供述しているが,被告人は,日頃からそのような行為にしばしば及んでいた旨供述するところ,被告人の携帯電話中に保存されていた写真の中には,そうした機会に撮影されたと見られるものが相当数存することなどの事情を併せ考慮すると,本件に関する被告人の供述はたやすく排斥できない。 【掲載誌】 最高裁判所裁判集刑事304号139頁        裁判所時報1536号276頁        判例タイムズ1358号79頁        判例時報2132号134頁
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